黙考のしじま

思索にふける苦行の軌跡

小説 祇園精舎の鐘の声

小説 祇園精舎の鐘の声
 
 地獄の竈(かまど)で焚かれた熱湯風呂に入れられたやうな、そんな苦行を強ひられた異常に気温が高かった酷暑の夏も漸く終はりに近づいたのか、ここにきてやっと初秋めいてきた九月の十六夜の日、夕刻から小川よりは大きいが大河とは言へない在り来たりの川の右岸を百メートルくらい歩いたらくるりと踵を返しては何度も往復を繰り返してゐた倉井大輔は、何やら深刻な苦悩を抱へ込んだやうな思ひ詰めた表情をしながら、時折ぶつぶつと呟きつつ時間といふものの本質を弄るやうに時が経つのを過ごしてゐたのである。倉井大輔をそのやうな行動に駆り立ててゐたものの正体は自同律の苦悶であった。倉井大輔はもうすぐ三十路を迎へる年齢なのであったが、青臭い青年特有の自同律の問題に未だに囚はれてゐて、尚悪いことに世界といふものに、宇宙といふものに対して何故だか解らぬが、己に対して抱いてゐたやうに憎悪を剝き出しにしてゐたのである。
 もの皆よくよく見れば、一つとして同じものがない。それと同じやうに頭蓋内に棲む異形の吾は倉井大輔が異形と呼んでゐるやうに内部の吾も一つとして同じものがないのが当然のことであった。しかし、それが倉井大輔には苦悩でしかなかったのである。何故、私と内部の吾はかうも互ひに反目し合ふのか。それに対して常人であれば、巧い具合に青年の間に折り合ひをつけて、内部の吾を飼ひ慣らし、猛獣使ひではないが、どんなに内部の吾が暴れやうが涼しい顔をして内部の吾は主人の私の一言で、尻尾を嬉しさうに振る仔犬のやうに馴致されてゐるものであった。ところが、倉井大輔は内部の異形の吾に共振してしまって、奇妙なことに私を異形の吾どもと一緒に総攻撃を仕掛けるのである。それは凄惨なことであった。
 何が凄惨かと言へば、免疫が異常を来して己を攻撃し、己の体軀が畸形してゆくやうに異形の吾どもに共振した私がこの倉井大輔といふ心、或ひは魂、或ひは魂魄を総攻撃して、自己浸食し、例へば私の魂は歪められ、ムンク「叫び」の人間のやうに奇妙にひん曲がってしまった私の魂は、見るも無惨に倉井大輔といふ人間を支へるのにも息絶え絶えで、奇声を上げるしかないのであった。時折、奇声を上げる倉井大輔に対して、家族もう慣れっこであり、近所の人も倉井大輔に対しては目を合はすのを避け、挨拶も早早に倉井大輔からは一歩引いた関係のまま、関係を深める人はゐなかったが、そんな他者に感(かま)けてゐる余裕などなかった倉井大輔にとってキルケゴールほどではないが世間から疎んじられ単独者といふ状況は願ったり叶ったりで倉井大輔にとっては悪くはなかったのである。
 それにしても異形の吾どもと一緒になっての私の吾への総攻撃は倉井大輔の精神を蝕んでゐたのは間違ひなく、倉井大輔のいつも疲れ切った虚ろな目は彫りの深い倉井大輔の眼窩の奥で異様な光を発しながら、その目で内部を覗く人特有の何処を見るでもなく視点が定まらず、かといって何かを凝視してゐるのが闡明するこれまた奇妙な目つきをしてゐた。その奥二重の目玉がぎろりと動くと、幼子は必ず泣き出し、そこには魔物が宿ってゐると言ってもいひ一目倉井大輔の眼光鋭き虚ろな目を見てしまった人ならば、もう決して忘れられない嫌な記憶として脳裡に焼き付いてしまふのであった。
 さうかう川の右岸をぶつぶつと独り言を呟きながら往復してゐた倉井大輔は、すると、不意に何処かから梵鐘が聞こえたやうな気がしたのであった。
――ぐおおん。
 梵鐘の複雑にして清浄な響きは倉井大輔に唐突にかう呟かせたのである。
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も、遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 何故か倉井大輔は『平家物語』がお気に入りの物語で、そこで死んで行く平家の人間たちに何か自己を重ねては奢れる吾も久からずと、やがては倉井大輔を総攻撃する異形の吾どもと私も必衰の途を辿るのを恋ひ焦がれるのであった。
 然し乍ら、倉井大輔の内部に棲む異形の吾どもが奢ってゐるとは思えず、敢へて言へば奢ってゐるのはどちらかといふと倉井大輔自身の方ではないかと思はざるを得ぬのである。それは、言はずもがなであるが、倉井大輔が此の世に存在してゐること自体に原因があったのであった。此の世に存在することは、そもそも悪であると倉井大輔は考へてゐた。これは倉井大輔が物心ついたときには既に倉井大輔の心に芽生えてゐた感覚で、まだ幼くてそれを名指せは出来ぬ倉井大輔は、しかし、世界に屹立する度に心にもの悲しくも渺渺とした隙間風が吹き荒び、絶えず倉井大輔は憂愁に包まれ、何かちょっとのことでも泣き出す始末なのである。幼い倉井大輔には何故泣いてしまふのかその理由は解らず、只管己の存在に我慢することを強ひられたのであった。幼き日日の倉井大輔は泣くことでやうやっと心の平衡が保たれてゐたのである。さうだからこそ、倉井大輔は内向的な青年へと成長した。絶えず己の心の動きを観察してゐなければ、一時もその場にゐられぬ羞恥に苛まれながら、倉井大輔は存在に対して我慢してゐたのであった。
 また、倉井大輔は倉井大輔を囲繞する時空間が倉井大輔のところだけきつく締め付けてゐるやうな感覚を絶えず持ち続けてゐて、実際、倉井大輔はいつも息苦しさを催してゐたのである。これは世界の倉井大輔に対する嫌がらせにしか思へず、世界からの疎外感は倉井大輔を益益、内向的な青年へと駆り立て、その孤独感は筆舌尽くし難い屈辱を倉井大輔に齎すばかりなのであった。それが何に由来するのか言葉で名指せるために倉井大輔は乱読したのである。文芸書や哲学書はもちろんのこと、数学や物理学などの本まで手を伸ばして、とにかく手当たり次第本を読んだのであった。その中で、倉井大輔の心を揺り動かしたのは『平家物語』を初めとする古典の数数、理論物理学の専門書とプログラミングの、特にアルゴリズムの本と数学書哲学書とフョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキーの巨大書の数数、そして、武田泰淳埴谷雄高小林秀雄の書なのである。就中、最も心が揺れ動かされたのは埴谷雄高の『死靈(しれい)』なのであった。『死靈』の主人公の三輪與志に心惹かれつつも倉井大輔が瞠目したのは黙狂の黒川健吉なのであった。それは世界からの疎外感に加へて、時空間すら意識せずにはをれぬ息苦しさに苛まれてゐた倉井大輔は、存在の弾劾を行ふ黒川健吉のその思索の膂力の強さにある種の憧れを抱いたのかもしれぬ。
 ところが、倉井大輔には埴谷雄高の『死靈』では全く物足りなかったのもまた、事実であった。何が物足りなかったかといふと、埴谷雄高の思索のどれもが『死靈』では詰めが甘かったのである。少なくとも倉井大輔にはさう思はれた。三輪與志の「自同律の不快」にしても、三輪高志の「夢魔の世界」にしても、「愁ひの王」にしても、黒川健吉の「最後の審判」にしても、狂言回し的な存在の首猛夫のその存在自体のどれもが、例へば数学で喩へるとよくて高校数学で止まってゐるのであった。高校数学でかは記憶が曖昧で忘れてしまったが、虚数が登場した時点で止まってしまってゐるのである。数学の面白さはそこから先がずっと面白いもので、虚数が出たならば少なくともオイラーの公式までは思索の触手を伸ばして欲しかったものである。それ故、『死靈』の「虚体」はペラペラに薄っぺらいのであった。少なくとも倉井大輔にはさう思はれた。
 だから、倉井大輔は乱読したのである。ペラペラの虚体では倉井大輔の苦悩は全く解きほぐせなかったのであった。とはいえ、数学や物理学にのめり込んでゆく現代哲学でも倉井大輔の苦悩はちっとも晴れなかった。それならば哲学書を読むよりも数学書や物理学書を読んだ方がずっとましで、だから、倉井大輔は数学と理論理学の書物を熱中して読んだのである。それで解ったことといへば、いづれも宗教には及ばないといふことであった。だからといって、宗教に倉井大輔はのめり込むには抵抗があったが、宗教書を読むのは楽しかったのは事実であった。何故、哲学や数学、物理学が宗教に及ばないかといふと、盲信したものは最早何を言はふが聞く耳を持たず、尚、悪いことに哲学も数学も物理学も疑問、それを言ひ換へれば懐疑から出発してゐる時点で宗教には永劫に及ばないのは火を見るよりも明らかであった。さらにいえば、哲学も数学も物理学も宗教的世界観を証明するものでなければ、それは明らかな誤謬なのである。
 その間隙を突いたのは古典の作品の数数であったのである。少なくとも百年は時代の荒波に揉まれて生き残った作品には「普遍的な何か」が秘められてゐるに違ひない。さうでなければ、永い年月の間世代を超えて読み継がれる筈はなかった。だから、古典作品のどれもが面白いのである。倉井大輔にとって就中、『平家物語』がすこぶる面白かったのであった。
 しかし、倉井大輔の苦悩は深まりこそすれ、解きほぐされ、濃い霧が晴れることはなかった。視界不良。これが現在の倉井大輔の立ち位置である。
 倉井大輔は梵鐘につられるやうに川向かうの城址の土塁のさらに向かうに寺が点在している門前町へと歩を向けた。それは寺の墓地に眠ってゐる死者どもが倉井大輔の魂を擽(くすぐ)ったかのやうに倉井大輔にさうさせたとしか思えぬ行為であった。さうでなければ、倉井大輔
城址の土塁を越えて門前町まで逍遥する筈はなく、倉井大輔にとってその意思を動かすのは此の世で圧倒的多数を占める死者の誘ひのみであった。
市の史跡となっている城址の土塁は鬱蒼とした雑木林に包まれ、倉井大輔は月夜の夜にその雑木林を彷徨するのが好きであったが、陽がどっぷりと暮れた今、その土塁の雑木林は濃い闇を纏ひ、倉井大輔を誘ふのであった。闇の誘惑には抗へない倉井大輔は、その性格に趨暗性を持ち合はせてゐたのである。倉井大輔の内面と強く共振する闇。闇は頭蓋内の闇と地続きとなり、やがて倉井大輔は闇の中を歩くことが、何やら頭蓋内を彷徨ひ歩いてゐる錯覚に襲はれ、濃い闇を纏ふもの皆が今にも何か別の何かに変貌するのではないかと思ふと、何やら倉井大輔の心はざわつくのであった。それは昼間の間はぢっと己であることに堪へてゐたものが闇を纏ふと昼間の我慢が爆発し、ものの欲望のままにその姿を変へるのではないかと倉井大輔は心の何処かで期待してゐたのは確かであったが、闇を見ると声にならぬものの囁き声が聞こえるやうな気がして倉井大輔の心は高揚するのである。それは深海生物が闇の中で己の欲望、つまり、「生きる」といふ欲望が結晶したGrotesqueな姿は、神神しいほどに蠱惑的であると思ふ倉井大輔にとって、闇は欲望を呑み込むに十分な資格がある何かであった。
 しかし、倉井大輔には、どうしても闇とBlack holeは全く結び付かぬものなのである。巷間では安直に闇=Black holeといふ思考停止した比喩が罷り通ることに対して苦苦しく思ひ、その比喩は全く間違ってゐると巷間の安易な思考に反目してゐたのであった。倉井大輔はBlack holeはシュヴァルツシルトの地平線以外は光に満ち溢れるものとしか思へぬのである。閉じ込められた光でBlack hole内部は眩い光で満ち溢れてゐなければ道理が立たぬと倉井大輔は真面目に考へてゐた。だから、倉井大輔にとって闇=Black holeとはならず、Black holeは闇の対極にあるものに違ひないと、つまり、Black holeはDarkの象徴ではなく光の、つまり、Light holeと名付けられるのが本来の姿を現してゐると考へてゐた。倉井大輔における闇とBlack holeの齟齬は常人には気が触れたものとしか思へぬ思考に違ひないが、闇にBlack holeを重ねる愚行は闇に失礼だと思はずにはゐられなかったのである。倉井大輔にとって闇は自由の象徴であり、欲望が現はれるものなのであった。百鬼夜行や疑心暗鬼は闇の為せるものであったが、それは自由に対する存在の怯えでしかないと倉井大輔は考へてゐた。
 闇に対する怯えは現存在の自由に対する怯えの直截的な反映でしかない。全き自由に放り出されたあらゆる存在は戸惑ふばかりで雨に濡れた仔犬の如くぶるぶると震へ、足が竦むに違ひない。さうでなければ、馬鹿者である。自由の恐怖を知らぬものは幸せ者であるが、大馬鹿者でしかない。果たせる哉、所詮存在に自由は背負へぬ代物である。重力に縛られ、自然法則に縛られるからこそ、存在は大地に屹立でき、歩行できるのであった。
 しかし、闇の中では一歩歩を進めるのにも一大決心が要り、びくびくと一歩を踏み出したならば、存在は闇の中を闊歩せねばならぬのである。自由の闇の中を闊歩せずしてどうして自由が満喫できるのか。やがて闇に目が慣れ、闇の中を次第に自在に逍遥できるやうになるのだ。さうなれば、存在は大胆になり、やがて、頭蓋内の闇と外部の闇の境目が消えて、それらは地続きとなり、現存在は奇妙な感覚に襲はれる。天地左右が曖昧になり、その場にへたりと座り込む。天地左右が曖昧の中、現存在は最早歩行不全に陥る。さうして妄想は肥大化の道を歩み、現存在の内部で押さへ付けられてゐた異形の吾群が、わあっと溢れ出、暗中の其処彼処を跋扈し始める。それも束の間、伸びをした異形の吾たちは私の周りをぐるりと取り囲み私を呑み込まうとして手ぐすね引いて待ってゐるのだ。つまり、異形の吾どもの自由の足枷がこの私の存在なのである。邪魔者は消せ、それが異形の吾どもの流儀であった。
 倉井大輔は土塁の雑木林の中をぶらつき、異形の吾どもを自由にするべき、倉井大輔は異形の吾どもの人身御供になるべく、腰を下ろして胡座を舁きパイプ煙草を吹かし始めるのである。殺気に満ちた異形の吾どもとは対照的に倉井大輔は余裕綽綽なのである。倉井大輔の心は清澄で諦念の境地にあったのか、最早自我を押し通すことに何の意味も見出せないと悟ったかのやうに融通無碍なのであった。さうなると返って異形の吾どもは倉井大輔に躙り寄ることすらできずに、その場で地団駄を踏む以外術がないのである。それは何故か。倉井大輔は風に柳で、倉井大輔自身が自由に解放され、異形の吾どもはその神神しさに圧倒されるのである。その時の倉井大輔は、無敵であった。後光が射すとは将にこの時の倉井大輔のことで、倉井大輔が発する後光に異形の吾どもは怯むのである。
 煙草を吹かしながら、倉井大輔はといふと、闇と戯れて為すがままに自我を棄てるのであった。自我を棄てるとはどういふことかといふと、倉井大輔は闇に紛れて闇に同化することのみに心血を注ぐのである。さうすると、倉井大輔はあらゆるものに対する執着が消え、それが束の間であらうが、一時の間、あれだけ執着してゐた苦悶から解き放たれるのであった。
 嘗て「透明な存在」と己を名指して幼子の頭部を切断し、小学校の校門の前に切断した頭部を置いて、己の底知れぬ「欲」のその底の闇を見て、闇色に己を染めることで己の存在を確かめるといふ悍ましいことをしでかした思春期の少年がゐたが、闇色に染まることで神をも恐れぬ自由を行使できるといふ幻想に憑かれたその少年は、己が闇色に染まったことで自由に対する畏れを喪失し、幼子の頭部を切断するときに飛び散る血腥い血に蠱惑され、更に闇に惑溺しながら、夢中で幼子の存在を頭部のみで象徴するといふ残虐な行為を敢行してしまったそれを、当時、「心の闇」といふ言葉で語らうとした精神分析学者たちは、そもそもが間違ってゐて、心とはそもそもが闇であり、心の闇といふ言葉自体が矛盾してゐるのであるけれども、それさへ気付かぬものが精神分析を行ふこの浅はかな愚者どもを「専門家」たらしめるこの社会の仕組みは余りに皮相的で、重層化されてゐないからこそ神をも畏れぬ少年が己を軽軽しく「透明な存在」などと偉さうに言ひ切れてしまひ、悍ましい行為を――それは底無しの悍ましさであり、尋常ならざる蛮行である――行へてしまふ禁忌を犯すといふ一面ではFetishism(フェチズム)の「欲」を満たす、つまり、その少年は「死」若しくは「死体」好事家でしかなく、生命を「死」に至らしめることでしか存在を確かめられぬといふFetishismの為せる業であり、生から死へと移る苦悶の様に性的興奮を覚え、何度もMasturbation(マスターペーション)を行ひ、己の「欲」を満たしてゐた筈である。少年は、最早、その「欲」を満たすといふ快感から逃れられず己の「欲」を満たすのであれば、人殺しをしてもいいと自分で自分を許してしまった、つまり、禁忌を犯すのも厭はず、箍が外れたやうに、または糸が切れた凧のやうに己の「欲」の赴くままに自由を行使してしまったのであった。その少年は、幼子の切断した頭部を小学校の校門の前に置くことでしか、自己主張できなかった哀しい存在なのであるが、しかし、小賢しくもその少年は、幼子の頭部発見後の社会を嘲笑ふかのやうに声明文を新聞社などに送りつけ、其処に「透明な存在」と己を名指してゐたと倉井大輔は記憶してゐるけれども、高が「死」若しくは「死体」好事家に過ぎぬその少年をその世代の象徴のやうに取り上げたMass(マス) media(メディア)と其処に出演する名ばかりの精神分析学者ども愚者は、とんちんかんなことしかいはず、少年が唯単にMasturbationがしたいがために人殺しをしたといふことには一切触れずに――倉井大輔はフロイトは殆ど信用してはゐなかったとはいへ、フロイトLibido(リビドー)は精神分析の基本だと思ふのだが、当時、Libidoといふ言葉には全く触れられてゐなかった――「心の闇」といふ言葉遊びに終始してゐたのである。
 闇はさう軽軽しく遣ふものではないと倉井大輔は思ふのであった。あの少年はMasturbationの快楽に溺れたいがために人を殺して、頭部を切断したに違ひない。闇の中に胡座を舁いて座す倉井大輔は、己が闇色に染まることの危ふさに思ひを馳せるのであった。
 闇に染まるとは自己喪失の最も楽(、)な術であったが、全身これ闇色に染まってみせた「透明な存在」のその少年は、さうすることで、反社会的な行為を全て自己肯定してゐたのであらうか。仮にさうならば、何に依って自己肯定できたのであらうか。思ふに、その「透明な存在」と己を名指して悦に入ったであらうその少年は、己を「透明な存在」と名指したことで、自己免罪符を己に与へ、とはいへ、それは徹頭徹尾欺瞞の中での足掻きでしかないのであるが、「透明な存在」と名指して己を宙ぶらりんの状態に保留する形で、または、返って「透明な存在」といふAmorphous(アモルファス)様に己を規定することで、少年の内部に巣くふ異形の吾が自在を嗜むことを覚え、その少年に対して拍手喝采を送り、もしかしたならば、その少年は異形の吾に丸呑みされてしまったのではなからうか。つまり、その少年は魂魄すら闇色に染まってしまったのではなからうか。人身御供としてその少年は既に異形の吾に丸呑みされてゐたことで、「にんげん」であれば越えられない一線を何の迷ひもなく、猫殺しに始まったといはれる殺戮といふその少年にとっては性欲を昂進させ、これ以上ない至福の時、それはMasturbationによるOrgasm(オルガズム)を深く深く深く堪能するためのオカズ(、、、)としての殺戮であって――それは血腥い臭ひを放たなければならず、その臭ひが少年のMasturbationには必要不可欠で、血の臭ひを嗅いだだけで少年の性器は勃起した筈だ――その少年にのみ当て嵌まる「にんげん」であれば必ず嘔吐を催すその独特の自己耽美の世界を創出するべく、少年は生き物を血祭りに上げたに違ひない。殺戮が「美」と結び付いてしまったその少年と、その少年を丸呑みしたに違ひない少年内部で大手を振るってゐた異形の吾が手を携へて「美的世界」に惑溺しながらMasturbationをして果てるOrgasmを体験したその少年は、生き物を殺戮する度に異常興奮した筈である。その挙げ句が、その少年よりも羸弱な幼子を殺して、血腥い臭ひを思ひっきり堪能できる首の削ぎ落としなのだ。その時のその少年の惑溺ぶりは尋常ぢゃなかったに違ひない。興奮も絶頂を通り越した自己陶酔に惑溺する悦楽も気絶するほどで、その少年の悦楽の欲求は男性といふよりも女性のOrgasmの欲求に近しいのかも知れず、その少年の欲深さは底知れぬもので、凄惨な現場でその少年は何度も何度も射精しながら、幼子の首を削ぎ落としてゐた筈である。
 それでその少年に何が残されたといふのか。射精後の虚脱感、つまり、どうしやうもない虚無が残された筈である。その虚無を求めてその少年は殺戮を次次と犯してゐたといふことになるが、少年では手に負へない虚無に対してその少年はどう対処したのであらうか。その少年は、だから、呪はれたやうに生き物を殺して回ったのだ。その虚無をしてその少年は己を透明な存在と叫ばせたのだらう。心の叫びといへば聞こへはいいが、それは徹頭徹尾その少年が招いたことである。その尻拭ひは自分でする外ないのだ。誰に己が虚無を訴へたところで、誰も聞く耳を持ち合はせてゐない。その挙げ句が幼子を殺戮し、首を刎ねて小学校の校門の前に置くといふ蛮行に走らせた。それがことの顚末である。当時少年であったそのものは、現在、何処かの街中で常人のやうに日常を送ってゐるが、あのときの恍惚状態は決して忘れられず、虚無に再び囚はれたときには風俗店に通ふか、激しいMasturbationをするか、恋人か伴侶がゐれば、強引な性行為を行って己のLibidoの捌け口にしてゐるのかもしれぬ。或ひは自傷行為を繰り返して己を傷つけてゐるやもしれぬ。しかし、過去の狂気の沙汰は消せないのだ。その重い重い重い十字架は、一生背負ってゐなければならぬ。自棄を起こさうが、その十字架はくっついて離れない。それが罪といふものだ。或ひは宗教に救ひを求めてゐるかもしれぬが、宗教は、慰みになるかもしれぬが神はそのものを救ひはしないのだ。神は唯見守ってゐるだけに過ぎぬ。
 倉井大輔はふうっと煙草の煙を吐いて、まだ己に巣くふ異形の吾を叩き出すやうに己を内省したのであった。闇に染まると闇色に染まるとでは雲泥の差がある、と倉井大輔は思った。倉井大輔は己が「にんげん」に悖る存在に堕すことは望んでゐなかったので、闇の雑木林の中で、倉井大輔を取り囲む異形の吾どもに対峙し、異形の吾どもに倉井大輔が丸呑みされるのではなく、倉井大輔が異形の吾どもを全て丸呑みせねばならぬと覚悟を決めたのである。
――ごううううん。
 倉井大輔は再び梵鐘の音を聴いたやうな気がした。それが空耳であるのは解ってゐたが、倉井大輔はそれで人心地がついたのであった。
――ふうんっ。
と、倉井大輔は踏ん張り気合ひを入れると、異形の吾どもを一匹づつ捕まへてはぐしゃりと握り潰し丸めてはごくりと呑み込み始めたのである。
 全ての異形の吾を丸呑み終へた倉井大輔は、
――ぐへっ。
と、げっぷをしたのである。それが倉井大輔と異形の吾どもとの差異の全てであった。げっぷが出るからこそ倉井大輔はまだ、異形の吾どもに占有されてゐないと思へるのであった。
――異形の吾どもとはどう足掻いても一生、否、私といふ念が存在する限り必ず付いて回るものだから、何とか上手く付き合ひたいものだが、さうは問屋は卸さない。異形の吾どもは私の念が何かへまをやらかせば、『きゃっきゃっ』と嘲笑し、私の念が少しでも満足しやうものなら私を異形の吾どもの尻尾の槍で、チクチクと突く。どうあっても異形の吾どもは私を不快にさせずにはゐられない。しかし、さうでなくちゃな。
 倉井大輔家は闇に包まれた雑木林を抜けると寺の墓場に行きたいとゆらりゆらりと歩き出したのである。眼前には昇り始めたばかりのどす赤く異様な十六夜の月があった。倉井大輔にとって赤い月は中中好きになれないものではあったが、しかし、その異様さには惹かれずにはいられぬ魅力があり、どうしても赤い月に目を奪はれてしまふのである。それは怖い物見たさに近いものがあった。その異様さが際立つ赤い月ではあったが、異様故に何物にも代へがたい存在なのである。唯一無二の存在は異様であればあるほどその存在感を誇示し、その存在感に一度囚はれると、蜘蛛の巣に引っかかった羽虫の如くじたばたすればするほど糸に搦め取られてこんがらがり、もう蜘蛛に体液を吸い取られて死すまで身動きが取れないのにも似て、倉井大輔は赤い月に生気を吸い取られるやうな感覚に囚はれてゐた。その感覚がまた、倉井大輔を酔はせるのであった。その当時、倉井大輔は死の匂ひがすれば、惹かれずにはいられぬ危ふい状態にあったのである。それは何故であらうか。それは、この私の思ひ通りに行かぬ私自身を捨て去り、つまり、死んじまって私からの脱出をといふ思ひもしてゐたが、どうせ死しても自由の身にはなれぬだらうと、倉井大輔は死の道すら残されてゐない自身を呪ってゐた。自分で自分を呪ったところで何もいいことはありゃしない。それは己で己を喰らふウロボスの蛇のやうに自滅の道を辿るしかなかったからである。それもとても中途半端な仕方での自滅の道に違ひなかった。
――赤い月よ、吾の生気を吸い取れるだけ吸い取ってくれ。さすれば、吾、少しは生へと縋り付く力が湧いてくるやもしれぬ。今は生きたいのだ。だが、私ときたら、死ばかりを考へてゐる。この矛盾は、ちぇっ、嗤っちまふよな。自分ではどうすることもできないくせに、死なんぞ、大それたことを思ふ大馬鹿者とはこの私のことだよ。
 近くで見た人は倉井大輔は幽霊に見えたことだらう。ゆらりゆらりと気配を消すやうに歩く倉井大輔は、然し乍ら、その異様な歩き方とは対照的に自分では一歩一歩大地を踏み締めて生の感触を噛み締めながら歩いてゐたのであった。倉井大輔は詰まる所、生に飢ゑてゐたのである。それに倉井大輔の肉体がもう、魂についていくのがやっとだったからである。この魂が肉体に半歩でも先立つ状態が倉井大輔を夢遊病者か幽霊のやうに見せてしまふのである。この魂と肉体のずれは倉井大輔も自覚してをり、決して倉井大輔は肉体と魂の二元論には与してゐなかったが、この埋めやうもない魂と肉体のずれは、否が応でも現存在には魂と呼べるものがあり、気が逸るといふ感覚とは全く違ふ幽体離脱しさうでゐて肉体は幽体になんとかしてしがみついてゐる状態が、正しく倉井大輔の状態なのであった。幽霊のやうにゆらりゆらりと歩いてゐる倉井大輔は、その内部を覗けば鬼の形相で肉体から逃げ出やうとしてゐる魂に置いてきぼりを食はないやうに必死なのである。もし、倉井大輔が魂を追ふことを已めたとしたならば、それは最早甦生不可能な地獄のまた底にある深地獄とも呼ぶべきところへと堕す行為に外ならず、それは輪廻転生といふ救ひ様のない、つまり、現世とは断絶した無間地獄とは全く意味の違ふ永劫地獄へと転げ落ちる生ける屍を意味してゐたのであった。さうなると質が悪く、倉井大輔が正気を取り戻すには十年単位での時間が必要になるほどに、倉井大輔は絶望の中で藻掻き苦しむ歳月を幾星霜も過ごさなければならなかったであらう。
――ちぇっ、あの赤い月がせせら笑ってゐやがる。そんなに可笑しいか。おれが鬼の形相で必死に魂にしがみつくことが。
 赤い昇り立ての月は、しかし、せせら笑ってなどをらず、地球の大気を最後まで通過した赤色の波長の長い太陽光が月面で反射して地球に降り注いでゐるに過ぎず、単なる物理現象として月は赤いのであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。然し乍ら、その赤い月は倉井大輔には異様にしか見えず、数理的な論理と倉井大輔の感情とのこの跨ぎ果せない巨大な溝は如何様にもできずに倉井大輔は、赤い月が身も蓋もない単なる物理現象に過ぎないと知りつつもどうしても赤い月に異様な胸騒ぎを覚えずにはゐられなかったのである。
 それは葛藤といふ言葉で片付けるには余りにも似つかはしくない様相をしてゐて、強ひて上げれば数理的論理と内部から鬱勃と湧き上がる感情との全く相容れない、つまり、お互ひが全く次元の違ふところで、向き合ふことが逆立ちしても不可能なものとして、あらぬ方を向いて対座するといふ言葉が相応しく、倉井大輔はといふと其処に無限の断裂を見てしまふのであった。それはいつまで経っても感情は数理的論理とは違ふ論理で太古の昔より全く進歩なくあり続けてゐる、つまり、倉井大輔の魂と肉体との関係と相似形なのである。それはFractal(フラクタル)な関係にあるともいへ、感情は抑圧してでも数理的な論理を受け容れなければ、倉井大輔が世界に押し潰されてしまふ生死を分けるほどに重大な意味を持つことなのであった。然し乍ら、感情は理性の言ふ事など聞く筈もなく、理性と悟性、そして感性に対しての感情の不服従の姿勢は一貫してゐて、感情を抑へつけるには理性による恐怖政治を布かなければ到底感情を抑へつけることなどできる筈もなく、然し乍ら、倉井大輔はといふと理性の恐怖政治にほとほと疲れてしまってゐたのである。現代社会に生きる現存在が抱へ込まざるを得ぬ科学的論理といふ洪水に呑み込まれることに倉井大輔は何のことはない、疲労困憊してゐただけなのであった。
 科学的論理と感情の鬩(せめ)ぎ合ひは、然し乍ら、どちらも己の立場を譲ることなく、話が徹底的に噛み合はぬのであった。それも当然のこととはいへ、土台、科学的論理と感情の論理が交はることは人類滅亡まであり得ぬと倉井大輔は諦念してゐて、科学と感情のどちらを優先させるかと問はれれば、倉井大輔は迷ひなく感情を優先されると答へる類ひの人間なのであった。それだから、倉井大輔はSystematicに余りに合理を追求する現代社会には途轍もない居心地の悪さしか覚えることはなく、「遊び」のない余りに合理的な現代社会は動物でもある人間の感情を何処かしら傷付けなければ成立し得ぬものと看做してをり、倉井大輔が日日生き残る度に感情はずたぼろに傷付けられるのである。
 尤も、倉井大輔は頭の中のことであれば、科学的論理は嫌ひといふよりも大好きなのであった。倉井大輔はこの矛盾に嘲弄の嗤ひを自身に投げ掛けるのであるが、しかし、倉井大輔はその本質においては数理理論が大好きで、寝ずにそれらの専門書を読み耽ること屡屡で、こんなに面白いものはないと倉井大輔は目を閉ぢながらいつも思ふのである。とりわけ倉井大輔が好きなものは、物理数学、就中、理論物理学で、大宇宙から物質の根源までを統一の理論で証明するといふ壮大な試みに感心しきりなのであった。
――とはアインシュタイン特殊相対性理論の概要の一部であるが、物質の質量がEnergyに変換可能といふ卓見は、光速度一定と言ふ事から導かれたものであるが、物質はEnergy、それも厖大なEnergy体に変換可能といふことは、詰まる所、形相と質料との微妙なBalanceの上に存在するものは、Energyとして四方八方に飛び散り、光が消滅するやうに最期は消えてなくなる可能性を潜在的に秘めてゐて、原子爆弾は、ウラニウム中性子を衝突させると核分裂反応が起きて、原子核が分裂するときに質量がほんのほんのほんの僅かだけ少なくなることで、何十万もの生きとし生けるものを殺戮できる莫大なEnergyを生み出す。これはアインシュタインの特殊相対論からの導き出されたことであるが、例へば一円玉一つが全てEnergyに還元できれば、人類はEnergy問題に悩むことなく暮らせるだけの厖大なEnergyを獲得できるのである。
 と、倉井大輔は不意にそんなことを思ひながら、門前町へと踏み出したのであった。家家には電灯が灯ってゐて、其処には日常生活が確かにあるのであった。しかし、もし、物質がEnergy体へと一斉に変化したならば、これらの日常は藻屑と消えて蒸発するのである。ものの有様は見やうによってはとても危ふい調和の中に存在してゐる。だから、日常は日日在り来たりながら尊ひのである。倉井大輔は態態(わざわざ)覗いたわけではなく、不図目に飛び込む市井の人人の日常が何とも愛ほしくて仕方がないのであった。其処には数理では語り尽くせぬ人間の日常が存在してゐたからである。
 一方で日常生活といふものを蔑ろにするとしか思へぬ高度情報科学技術文明の止まらぬ発展は、益益加速を速め、其処に莫大な富が眠ってゐるといふことで更に莫大な金が集まり、そして、日日革新の名の下に科学の粋が結晶したといふ製品が生み出され、それに群がる普通の市民がゐることで、更に富が集まり、更に文明の発展の加速が速まるといふ循環の旋風に科学技術とは全く無縁だった人人をも巻き込み、怒濤の文明の進軍が驀進するのである。その驀進に疲れた人人は部屋に籠もり、自ら文明の怒濤の進軍から脱落することで壊れさうな自己の保持を、若しくは自己の存続を維持するべく異様な文明の怒濤の進軍から零れ落ちて行くのであった。しかし、文明から振り落とされた人人は訳の解らぬBlack boxと化した文明の利器を避けるかといへば、決してそんなことはなく、籠もったことで、社会との繋がりを文明の利器により拓かれる仮想の社会の窓との回路のみを頼りにして孤独を遣り過ごすのである。
 尤も、社会から退避した籠もり人たちに戦略があるのかといへば、全くなく、追ひ詰められた末の已むに已まれぬ退避でしかないので、この文明の留まるところを知らぬ疾風怒濤の進軍のそのJargonで理論武装された難攻不落の要塞の如き有様に対して、自分をこれ以上壊されたくないので、籠もる外なかったのが実情なのであった。それでは籠もった人人はこの先どうしやうとするのだらうか。さう考へると、籠もった人人は何の見通しもなく、自死覚悟でこの留まるところを知らぬ高度情報科学技術文明の発展から退避したに違ひなのである。一方で文明の進軍は驀進を已めず、一方で籠もり人たちは文明の火炎旋風の如き様相を呈したその残酷な一面から顔を背け、後退りするしかないこの分断は、最早埋めやうもなく拡がるばかりなのであった。籠もった人人はそれを見て絶望しか感じ取ることはできず、未来に希望を見出すことは不可能に思はれたのか、一度引き篭もってしまふと部屋から出ることすらままならず、それは文明が魔王の如き暗き影を纏ひ、その暗き影が部屋から一歩でも出れば自分を呑み込んでしまふ恐怖に引き篭もった人たちはぶるぶると震へてゐるに違ひないのである。倉井大輔はといへば、流石に科学理論の洪水には疲労困憊してはゐたが、根は理論好きなこともあり、引き篭もることはせずに、尤も、文明の異様な熱狂とは距離を置く立ち位置でゐたのであった。それもまた、一歩間違へればヘトヘトに疲れた上の自死へと踏み出す踏み台になりかねず、危険な世界との関係にあるのも事実であった。
 この高度情報化科学技術文明の目覚ましい発展の、然し乍ら、問答無用の驀進は、ある人人にとってはとても生きやすい環境に違ひなく、時流に上手く乗れた人人にとっては笑ひが止まらぬであらうが、一方で、この高度情報化科学技術文明と水が合はずにありながら、それでも時流に乗り遅れまいと歯を食ひ縛り、必死にしがみ付く人人がゐて、多分、其方が大多数だと思はれるが、生き残るためにはいくら水が合はぬからといって、自分が生まれ落ちた時代に対してそれに真っ向から楯突く人は稀と思はれ、大抵は自分が生まれ落ちた時代に対して、文句の一つや二つはあらうとも適応しやうとするのが、そして、時代に自分の居場所を見つけては倹しい暮らしをして行くことで幸福を見出す人たちが殆どであると思はれるのである。ところが、天から絨毯爆撃で爆弾が降ってくることがない代はりに、災害で家が壊され已む無く家を追ひ出されるまで家の部屋に籠もる人人が膨大な数に上ってゐるのであった。それは先に書いたやうに高度情報化科学技術文明に傷ついた人人や、結果としてこの高度情報化科学技術文明に因があると思しき人間関係の拗(こじ)れで多勢に無勢で徹底的に、中には死すまで追ひ詰められたこともある、陰湿を極めた残酷な人間による仕打ちを受けたことで、人間不信に陥り、最早社会との接点を取り結ぶその術が断ち切られてしまった膨大な数の人人が籠もってゐるのである。在り来たりの人が極度の人間不信に陥ることは日常茶飯事で、また、それはある日突然やってくるのであった。それには例外は存在せずに、多数派の多勢に狙はれたならば、最早逃げられぬのである。その因はもしかしたなら多かれ少なかれこの高度情報化科学技術文明が齎す過重なストレスによるのか、陰湿極まりない虐めが始まるのであった。それに手加減はなく、徹底的に相手が苦悶の中で滅んで行くまで、虐めは行はれるのである。歯止めが利かぬのであった。それは幼き頃他者と一緒に群れなして外を駆けずり回って人の痛みや群れのルールなどを学ぶ機会を失ったために歯止めが利かなくなったともいはれてゐるが、虐められてゐる方は生き地獄である。虐めから逃れるためには死するか籠もる外ないのであった。絶望の世界から逃れるにはそれ以外ないのである。他者の普通の日常を奪った虐める側にしても事情は差して変はらず、やらなければ、やられるといふ関係性しか他者と関係が結べないその怯えが事の本質に横たはってゐるのであった。ハラスメントも同じやうなものであった。ハラスメントする側には本質として他者に対する怯えが潜んでゐるのであるが、当の本人はそれには全く気付かず、エヘラエヘラ、と嗤ひながら他者に対して徹底的なハラスメントを行ふのである。これまた、容赦がないのであった。これも、例へばAI(人工知能)と過度に関はらざるを得ぬ現代文明が、生身の対他者に対する怯えを増幅させてしまふからなのだらう。
 これほど文明の発展に人間が怯えてゐる奇妙奇天烈な時代は人類史上、もしかしたならば初めてのことかもしれぬ。文明が驀進する速度が、想像を遥に超えてゐるので一部の人間を除いては文明の発展は恐怖でしかないのである。この時代に仮に司馬遷が生きてゐて現代史を歴史書として書き残すならば、一体どんなものが書き残されるのだらうか。『史記』は司馬遷の冷徹なまでに人間を見る目は冴え渡ってゐて、歴史はあの当時は人間が作るものであったが、現代では歴史は文明のシステムが作るものに変貌してしまってゐた。人間の自由度は文明が発展すればするほど狭められてゐるやうな気がしてならず、実際さうに違ひないと思はれるが、それといふのもコンピュータを操れないものは社会から弾き飛ばされる現在、人間が存在するための必然の要素にコンピュータを操る――それはプログラムが組めるといふことである――ことがこの高度に発展してしまった文明のシステムに参加できるといふ、つまり、人間に先立ちコンピュータが存在するといふ奇妙な現代を司馬遷だったならばどう書き留めるだらうか。この複雑にして細分化した社会において司馬遷と雖も見晴るかすことは不可能なやうな気がする。まず、その複雑怪奇な社会のシステムの本質を司馬遷は見抜けるだらうか。どう転んでも社会の主役は人間ではなくコンピュータに成り変わってしまったことだけは確かである。システム障害が起きれば人間は為す術がないのである。一部のシステムを構築し、保守できる人間のみしかシステム障害が起きたとき、手出しはできずに、数多の人間は途方に暮れるのである。この何とも無様な人間を司馬遷が見たならば、司馬遷が『史記』を書いた頃との余りの違ひに腰を抜かすに違ひないと思はれる。社会の主役は依然として人間といへるものは、社会に疎過ぎるといへる。疾うの昔に社会の主役はコンピュータを筆頭に様様な機器や機械に取って代はられてしまったのだ。その証拠にコンピュータが人間に合はせることは絶対になく、人間が例へばプログラムを組むときにはコンピュータの論理に人間が合はせるのである。
 ところが、倉井大輔は現代の司馬遷と化して『史記』、若しくは『平家物語』のやうな歴史物を書かうと夢見てゐたのであった。それはメフェストフェレスに魂を捧げたファウスト博士にも困難なことは間違ひなかった。だからこそ、それは成し遂げられねばならぬと真面目に倉井大輔は夢想するのであった。ならば、文明の論理を身に付けねばならぬと、倉井大輔はプログラミングは勿論のこと、アルゴリズムなどの書籍を読み漁っては毎夜、コンピュータと睨めっこする日日を送ってゐたのであった。そんな倉井大輔は気分転換にと門前町の寺へ行き墓場で静かに考へ事がしたかったのであった。そのためには夜の暗闇が必要なのであった。
 尤も、倉井大輔はプログラミングが愉しくて仕方がなかったのである。例へばある回答を導き出すのにプログラミングは一通りではなく、何通りものプログラムが存在し、それはプログラミングを組む人の数だけ回答が存在するともいへるのであった。それが倉井大輔の論理好きの性質を擽り、倉井大輔がプログラミングの論理から離れられぬ理由の一つでもあった。
 プログラミングは徹底的に論理的である。その論理の一カ所でも間違へれば組んだプログラムは暴走するか、異常終了するか、得たい回答を得ることは不可能なのであった。それ厳格さが倉井大輔を魅了して已まぬのである。論理的に破綻してゐなければコンピュータはどんな論理も受け容れる。その点でプログラムを組むことはとても寛容なのであったが、一カ所でも論理が破綻してゐれば、その不寛容さは厳格極まりない。論理を組む綱渡り感が倉井大輔をしてプログラミングにのめり込ませたのであらう。だからといってそれで倉井大輔は社会の何たるかが解るとも思へず、唯、コンピュータによる文明の統制は綱渡りの論理で成り立ってゐるのではないかとは思へた。論理が論理で厳格に接合されたシステムは複雑怪奇なものになるかもしれぬが、しかし、其処に遊びが全くないので、一度一カ所でも論理破壊が起きるとシステム全体が正常に動かなくなり、システム障害が起きて社会は混乱を来すのである。其処で、サブシステムを構築してゐるのであるが、それは緊急時以外に使用されることがなく、概してサブシステムにはバグが含まれてゐることが多く、緊急時に作動しないこと屡屡であった。
 それでも文明は驀進することを已めぬ。それは何故なのか。文明の驀進から振り落とされる人は数多ゐるといふのにそんなものには全く目もくれず、文明の驀進は已むことがない。それは何故なのか。其処に人間といふものの有様の秘訣が隠匿されてゐると倉井大輔には思へるのであった。倉井大輔が思ふにプログラミングの論理が人間の欲望ととても親和性があり、ジル・ドゥルーズではないが、欲望機械と化した社会システムは、人間の底無しの欲望をコンピュータは受け止めてしまふところに文明の驀進の留まるところを知らぬことで人権の蹂躙がいとも簡単に行われるにも拘はらず、目まぐるしい速さで文明の驀進は已まぬのであらう。しかし、それでは倉井大輔は納得できぬのである。欲望機械の片棒を担ぐ厳格極まりないプログラムを組むといふ論理の世界が社会を支配する中で、不合理は一瞬でも目を潰れるといふ人間の存在論にも通じる深いところでの甘えの構造があるのではないかと倉井大輔は思ふのである。不合理からの逃避は実に居心地がいい筈に違ひなく、それを体現する途轍もなく論理的なプログラムで組み上げられた社会システムは、その中では不合理から解放され、飽くなき欲望を追求できる素地が整へられるといふ、つまり、人間のご都合主義の極みが高度情報化社会の真相なのではないかと倉井大輔は思ふのであった。
 不合理を回避することの脆弱さは、その社会システムの本質が砂上の楼閣でしかないことの表れに過ぎぬのではなからうか。それといふのも、科学者は自然には法則があると言ひ条、その法則は人間社会には不合理極まりないものであるといふ視点が徹底的に欠落してゐる。産業革命からこの方、自然法則と人間の文明による社会システムの位相のずれは拡大に拡大を重ね、その結果、振幅が大きくなった自然の有様に人間は翻弄され続けることに相成ったのであるが、現在は、その自然に人間社会が振り落とされるかどうかの瀬戸際なのである。それも科学者は論理的に分析し、それをシミュレーションして見せて、身も蓋もないほどに自然の傾向を指し示すのはいいのであるが、ならば人間の日常はそれに対してどう対処すればいいのかを全く語らぬのであった。結局、科学者といふ人種は徹底的に傍観者であって、生活のファクタをシミュレーションのデータとして組み入れることはできぬのである。つまり、数値にならぬものは、または数式にならぬものは科学的論理からはあってなきが如くに不問に付され、科学者が示すシミュレーションには全く反映されず、日常を営む生活者にとって科学者が指し示すシミュレーションは雲をも摑むやうな生活者との論理とは分断してしまってゐて、
――だから何?
といった具合に生活者の日常にそのシミュレーションを反映させる術は徹底的に欠落してをり、或る意味日常生活者には無意味なシミュレーションを示すことで科学者の論理的思考は止まってしまってゐて、科学の論理と日常の論理の乖離は目も当てられぬほどに悲惨極まりないのである。この一例からも解る通り、論理的な世界には日常が徹底的に欠落してゐて、科学者に日常といふものを問ふて見れば、お茶を濁すのが関の山であった。
 尤も、日常を生きる生活者にも非がないわけではなく、科学的データから想像力を働かせて日常がどのやうに悲惨なことに相成ってゐるのか理解できなければならぬのであるが、Jargonで凝り固まった科学的論理からそれを想像するのは殆ど不可能といはざるを得ぬである。しかし、それもその筈で、蛸壺での研究に勤しんできた科学者の論理など解る筈もなく、現代人の多くはこれだけ高度情報科学技術化された文明の中で暮らしながら、人類史上最も科学に疎い時代はなく、Jargonで理論武装する科学者に対して日常で使ってゐる言葉が全く通用しないのであった。これは全的に科学者の怠慢であって、Jargonでしか理論武装できないといふことは科学者は社会と断絶した蛸壺での存続を、つまり、科学者の醜悪な自己保身でしかないのである。世間ずれしたこんな科学者を何か意味あることを語ってゐるかのやうに丁重に扱ふ例へばTelevisionの司会者は何処まで行っても滑稽で、科学者と知ったか振りのTelevisionの司会者の話の噛み合はないことといったならば、ある種のComedyを見てゐるのと変はりがないのである。
 倉井大輔にとって科学のJargonは、然し乍ら、理解できるので、科学者が語る言葉や内容はよく解り、何の事はない、殆どの科学者が内容のないのことを語ってゐて、Jargonでしか自身の研究を、また、自身を語れぬ科学者の悲哀しか倉井大輔には感じられぬのであった。それは憐憫でしかないのである。
 月は赤銅色を脱し黄色から白色の輝きが増してゐた。白色の月光は何時も内部を覗き込むと倉井大輔には思はれた。柔らかい光の下で、月光は燦燦とは決して輝かないのである。その奧床しさに人類は何千年にも亙って魅了されてきた。月光の光輝が多分、生命誕生の瞬間からもの思ひに耽るのに最善の光度であったに違ひない。海の潮汐とも関連して月光は満月が最高の光度であるのであるが、満月の月光と雖も柔らかいのであった。この月光の柔らかさが存在に自由度を付与し、昔の魂が憧(あくが)れ出るといふ言葉に集約されてゐるやうに、月光の下であれば、太陽光下の強烈な光の下での私が私であることを強要されるといふことはなく、私は私であることを超えて正しく魂が憧れ出るに相応しい慈悲深くも妖気を放つやうな不思議な感覚に包まれるのであった。赤銅色のいかにも毒毒しい月光にはものを考へることを阻む魔術が漂ってゐるが、白色の月光はそれだけで倉井大輔に自己省察をする雰囲気を醸す柔和で優しい盧舎那仏の遍く世界を照らす光を彷彿とさせるものがあったのである。
 倉井大輔は文明の暴走を最早誰も止められぬ事に対しての忸怩たる思ひはあったが、コンピュータの論理が人間の論理を超えてしまった現状を嘆いてゐても始まらず、どうやってこの暴走する文明の驀進の中で、人間が人間の地位を保って人間といふものを或る意味では誇らしく――これは人間の堕落の始まりでもあるのであるが――日常を営む方策は何処かに潜んでゐないかと各家家に灯りが灯る門前町をふらりふらりと歩きながら考へてゐたのである。日常生活にも深く浸潤してゐるコンピュータによる文明システムは、誰もそれとは最早感度を失ってゐるが、コンピュータシステムの前では人間は下僕でしかないのである。徹底的にコンピュータシステムの前では人間の論理は通用せず、奴隷としてコンピュータシステムに従ふしかないのであった。それが倉井大輔には苦痛でしかなく、社会性の欠落してゐた倉井大輔は、社会の仕組みに絶対服従させられることには何時も悶悶とした思ひを抱かずにはをれず、
――ちぇっ。
と、舌打ちをしてから社会の論理に嫌嫌合はせるのである。
 だから、倉井大輔にとって日常は窮屈そのものであったのである。日常が窮屈といふのは、精神衛生上大変よろしくなく、それをストレスといふのであれば、倉井大輔には日常を生活することでストレスが過重にかかるのであった。これは、最早噴飯もので、窮屈な日常しか送れないことの屈辱に堪へる馬鹿らしさに内心では、
――はっはっはっはっ。
と、笑ひ飛ばしながらも日常の窮屈には暗鬱にならざるを得ぬのであった。何故高度情報化科学技術文明が便利を、言ひ換へれば「楽」を徹底的に追求することがこれほど倉井大輔には「苦」を齎すのか、この埋めやうもない乖離にはお手上げ状態で、当然、倉井大輔は日常が自分の思ひ通りにあるなどとは微塵も思ってゐなかったが、それにしても「楽」を求めての「苦」の現在化のアイロニーには文明の暴走が既に始まってゐて、最早それが破綻するまで誰も止められず、ドストエフスキイが『悪霊』の冒頭で引用してゐる豚の大群の自死の道をなぞってゐるのではないかと、つまり、現代人は皆、悪霊に取り憑かれてゐて己が呪はれた豚であることに気付かずに只管、自死の道を驀進してゐるに過ぎぬのではないかと倉井大輔には思はずにはゐられなかった。
 人類の智の粋を集めた高度情報化科学技術文明は、一つ間違へれば「悪」へ雪崩を打って突進する危ふさを今も携へてゐるが、倉井大輔にとっては「苦」でしかない文明の驀進は、最早留まるところを知らずに、只管前進するにあるとばかりに最早その進歩は誰にも止められぬ化け物と化してゐるとしか倉井大輔には受け取れなかったのである。何せ、人間の手にかかると殺戮は芸術の域に達するまでに殺戮兵器は悲惨な死を齎すが、それは人間の性と結び付いてゐるのか、将又、それは人間の本能なのか、高度情報化科学技術文明は余りに簡単に人を殺戮するのである。倉井大輔の「苦」の淵源を辿れば、それは文明が人間を余りに簡単に殺戮してしまふその危ふさに繋がってゐる。「楽」の本質は人間をいかに「楽」に殺戮するかにあるといふことが根底にあるこの高度情報化科学技術文明に倉井大輔は悍ましさを覚える契機なのであった。そこには「苦」しかないのも頷ける。文明に対してそんな見方しかできぬ倉井大輔は悲観論者なのかもしれなかったが、しかし、文明により、日日何人もの人間が殺戮されてゐるのは事実であり、これは覆すことはできぬ現実なのである。倉井大輔は人類が文明に躍らされて集団自決の道を歩まぬことを願ふばかりであった。
 この一見平和な日常を暮らしてゐるかに見える市井の人人が、文明が生み出したとんでもない殺戮兵器の数数によって殺されないことを冀ふしか倉井大輔にはできなかったが、やはり、倉井大輔は文明に対して楽観視はできぬのであった。世は既に倉井大輔にとって「苦」しか齎さない苦行の場でしかなかったのである。
 人間は究極的には楽土を齎すために己の願望を欣求する筈であるが、倉井大輔にいはせると「楽」を求めてゐる以上、楽土は苦行の修羅場でしかなく、人間が一番欣求してはいけないものは「楽」ではないのかと思ふのであった。堕落を欣求するならば「楽」を求めればよい、と倉井大輔は強く思ひ、便利もまた、曲者で、これまた「楽」に強く結び付いてゐるので、便利な社会は堕落の始まりに違ひなく、そこはもう苦行の修羅場と化してゐるのかもしれぬ。ここで、倉井大輔の論理は正しいと仮定すれば、高度情報化科学技術文明が目指すところは楽土ではなく血腥い苦行の修羅場、つまり、地獄ではないのかと看做せる。倉井大輔の考へが間違ひであって欲しいが、世界は力の論理で動いてゐて、どうも世界の彼方此方で血腥い戦争や闘争、争ひ事ばかりで、世界が平和であったことは人類史上一度もないのではなからうか。それが現代では武器が先鋭化し、結果として殺戮の仕方は芸術的なほどに瞠目せずにはゐられぬ悲惨極まりない殺し方で文明は人間を殺戮する。既に人間を殺すのに自律型人工知能を備えた無人殺戮兵器が登場してゐて、実際にそれにより、無惨に殺された人間は山のやうにゐるのが現実である。倉井大輔は此の世で最も嫌なことは人間により殺されることであったが、事態は倉井大輔の想像を超えてゐて、倉井大輔は考へをすっかり変へてをり、自律型人工知能を備えた兵器で殺されるのがもっと嫌であると考へるやうになったのであった。それもこれもその淵源を辿れば全て「楽」に行き着くのである。如何に「楽」、それは「遊び」のない論理的な世界にも当て嵌まることであるが、「楽」が悪弊の根源であるか倉井大輔が指摘せずとも誰もが少し考へれば解ることである。解らぬといふもは大馬鹿者であると自ら名乗ってゐるだけのことで、自ら恥ぢ入ればいいだけに過ぎぬ。
 倉井大輔の宿願は人類が「楽」を欣求しないことであり、万に一つでも人類が「楽」を欣求したならば、人類は破滅するに違ひないと真面目に考えてゐるのである。それだけ「楽」は人間の生き血を欲してゐて、その血腥さは歴史上随一ではなからうか。「楽」があれば、それは地獄の一丁目であることを倉井大輔は嫌といふほどに思ひなすのであった。つまり、「楽」は発明の父かもしれぬが、それは「悪」でもあったのだ。
 つまり、「楽」が生んだ最たるものが生者を彼の世へ簡単に送れる武器の数数である。更に悲惨なことに現代では死に行くものは誰が己を殺したのか解らないことであった。これでは死んだものは浮かばれる筈もなく、また、殺戮する方もGame感覚で生身の人間を殺すのだ。埴谷雄高の言ではないが、
――あいつは敵だ! 敵は殺せ!
といふことが現代では益益先鋭化し、敵といふレッテルを一度貼られてしまふと最早手遅れで、自律型のAIを搭載した無人機で殺されるのである。これは逃げやうがなく、かうして殺されたものたちは決して浮かばれぬ。浮かばれる筈はないのだ。霊といふものが仮に存在するとすれば、自律型AI搭載無人機で殺されたものたちは己を殺したものを未来永劫に亙って探すために此の世を彷徨ひ続け、結局は己を殺した人間の敵は見つからず、此の世は無念の怨嗟による瞋恚の死者の霊で満ち満ちてをり、成仏できずに彷徨ふことを宿命付けられてゐる。つまり、浄土へも地獄へも行けずにこの地上を中有を過ぎても彷徨ふことで、彼の世への出立は一向に始まらぬのである。当然、輪廻転生などある筈もなく、この生者と死者の分断は敵として死んだ死者の誰をも跨ぎやうがないのである。Televisionで心霊番組がめっきり減ったのは、最早霊が笑い事では済まぬものになり、うようよとこの地上を彷徨ってゐる霊たちがいつ何時生者へ死者たちの一揆が起こるか解らずに生者はそこはかとない疚しさでビクついてゐるのが本人はそれとは気が付かぬとも生者の存在は存在するだけで脅かしてゐる此の世のアプリオリな恐怖なのである。これはアポリアでもあって高度情報化科学技術文明が招き寄せた現代を生きる人間の宿痾であり、普通に日常を生きてゐるのでは大抵の生者は精神的に参ってしまひ、残さされた道は自殺以外ないのである。この見えない恐怖は生きている以上誰の身にも降りかかるものであり、生者は生まれ出た刹那、浮かばれずにこの地上を彷徨ってゐる死者の呪ひに呪はれてゐて、生者はこの呪ひからどう足掻いても逃れられぬ十字架を背負って此の世に生を享けるのである。「楽」を追い求めた結果、死者の呪ひはある特定の人で完結することがなく、言はれなき呪ひに生者の誰もが呪はれてゐる。これが高度情報化科学技術文明の行き着いた狎れの果てなのである。敵の顔が解らぬ死者にとっては生者であるだけで最早「敵」でしかなく、死者の怨嗟を晴らすには生者であれば、殺す相手は誰でも良く、ここでも、
――あいつは敵だ! 敵は殺せ!
箴言は更に先鋭化して息づいてゐて何時の頃からか生者と死者は反目する「敵」となって対峙することになったのである。Horror映画ではないが、Zombie対生者の果てしない戦ひがこれからは続くことになったのである。だから、現代では死がTabooとなり、然し乍ら、死者は生れてくる新生児以上に増えてゆくといふ人類全体がこれからは老ひてゆく未来を迎えることに相成ったのである。だから、現代では宗教は先鋭化するか退化するかの道を辿り、先鋭化した宗教はまた、
――あいつは敵だ! 敵は殺せ!
を信条とするやうになってしまったのである。
 
つづく